お笑いコンビ「ペナルティ」のボケを担当する北海道出身のワッキー。
数々の変顔や一発逆を披露しますが、周囲にはなかなか伝わりづらく、有吉さんには「クソすべり芸人」というあだ名を付けられてしまいました。
しかし、ワッキーの身体能力は高く、サッカー芸人としても活躍していますよね。
実は、ワッキーのサッカーでの活躍が凄かったで紹介しますね。
そんなワッキーには嫁と子供もいるそうですが、嫁との馴れ初めや子供についても調べてみました。
さらには、現在の活躍についても紹介していきたいと思います。
それでは早速、見ていきましょう!
もくじ
ワッキーのサッカー歴は?
まずは簡単にワッキーのプロフィールから紹介しますね。
ワッキーの本名は、脇田 寧人(わきた やすひと)さんとおっしゃいます。
生年月日は1972年7月5日なので、2019年の誕生日で47歳になりました。
身長は178㎝で体重は68㎏ということですが、テレビでよく脱いでいるボディを拝見すると、今でもトレーニングを欠かしていない体つきですよね。
幼い頃から父親の転勤で、各地を転々としていましたが、中学校1年生から中学校2年生の冬まで北海道釧路市の「釧路市立東中学校(現:幣舞中学校)」でサッカーを行っていました。
その後、船橋市立海神中学校に転校することになり、そこでもサッカーを続けることになります。
足の速さを武器にすぐさま活躍することになり、船橋市の選抜チームに選ばれるほどでした。
そして、その活躍を目にした市立船橋のサッカー部の監督は、ワッキーに熱烈なスカウトを開始します。
ところがその時には、東京学館浦安のスカウトを受け、進学することがほぼ決定的となっていました。
しかし、それでも市立船橋の監督は諦めずにワッキーを誘い続けることになります。
結果的にワッキーは、その熱意に押され、市立船橋に進学することになりました。
ワッキーの市立船橋での1年目
監督のラブコールを受け、市立船橋のサッカー部に入部したワッキーでしたが、練習初日から後悔することになりました。
スカウトの時はあれほど優しそうだった監督の形相が一変していたのです。
そこから厳しい練習が始まり、新入生たちは徐々に脱落していきました。
ワッキーも何度かくじけそうになりましたが、厳しい練習に何とか耐え抜き、サッカー部の中でも上位グループに所属することになります。
その後、「地獄の夏合宿」を迎えることになりました。
普段の厳しい練習よりもさらに3倍くらい厳しい合宿を乗り越えたワッキーは、「自分の限界を自分で決めるべきではない」と悟ったそうです。
そして秋を迎え、全国高校サッカー選手権大会の予選が始まりました。
その年の市立船橋は、見事に全国への切符を手にすることになります。
しかし、上位グループに所属していたワッキーでしたが、本選には出場することができず、応援団長を任されました。
1年生ながら応援団長を任されるということは、ほかの部員からの人望も厚かったのでしょうね。
市立船橋は本選を順調に勝ち進みましたが、決勝戦で清水商業に敗退し、準優勝となりました。
その試合を見ていたワッキーは、スタンドで号泣してしまったそうです。
「あれだけ厳しい練習を乗り越えてきたのに勝てないのか・・・」
そんな悔しさを味わったワッキーは、再び厳しい練習に取り組むことになりました。
ワッキーの市立船橋での2年目
2年目を迎えても厳しい練習に変わりはありませんでした。
そして、2回目となる「地獄の夏合宿」を乗り越えたワッキーは、1年目の時よりも、精神的にも肉体的にも楽に感じたそうです。
ワッキーは、この1年間の練習が決して無駄になっておらず、自分の成長に驚きました。
そして2年目の全国高校サッカー選手権大会の予選が始まり、ワッキーはレギュラーとして出場することになります。
ちなみに、3年生になっていた相方のヒデさんも、ワッキーと一緒にレギュラーで活躍しました。
ところが、予選決勝で敗退してしまい、全国大会への出場は叶わなかったのです。
その時もワッキーは、1年生の時よりも激しく号泣してしまいました。
しかし、ワッキーの大号泣の原因は、試合に敗れたということよりも、先輩方と別れるのが悲しすぎるということだったのです。
これだけ厳しい体育会系のサッカー部なので、上下関係も相当厳しいのかと思いきや、先輩後輩のよる上下関係はなく、チームが一丸となっていたということですよね。
将来的に、その先輩とコンビを組むくらいなので、相当仲が良かったのでしょう。
そして、それだけ信頼の厚かった先輩方が卒業することで、今度は自分達が最上級生になるというプレッシャーもあったのかもしれません。
ワッキーの市立船橋での3年目
3年生になったワッキーは、キャプテンにも任命されてしまいました。
キャプテンとしての重圧を抱えながら練習に励んでいたワッキーでしたが、1か月ほど経った練習中に、今までに味わったことも無いような下半身のしびれを感じることになります。
さすがのワッキーも、練習を休ませて欲しいと監督に伝えたところ、監督からは烈火のごとく叱られてしまいました。
その後体調が回復しても、ワッキーは練習に再開させてもらうことができなくなってしまいます。
何とか練習を再開させてもらおうと、ワッキーは丸坊主にして監督に懇願しますが、監督はそんなワッキーを一蹴し、反省文の提出を求めました。
それに素直に従ったワッキーでしたが、何度反省文を提出しても突き返されてしまい、思い悩んだワッキーは、いつしか学校へも行かなくなってしまいました。
そしてワッキーは北海道へ逃げようと考えるようになり、いよいよ実行に移すことになります。
北海道行きのチケットを握りしめたワッキーは、夜行列車が発車するのを待っていました。
すると背後から誰かに肩を叩かれたのです。
振り返るとそこには、監督の姿がありました。
その後ワッキーは監督の車に乗せられ、戻ることになります。
助手席のワッキーは、完全に怒られるものだと怯えていましたが、監督はそこで優しく、今までのワッキーに対する態度の意味をコンコンと説明しました。
そこには、ワッキーに対する深い愛情があったからこその態度だったということを思い知らされたワッキーは、監督のことを深く尊敬しなおしました。
次の日からワッキーは通常通り練習を始めることになります。
最後の夏合宿を終えたワッキー率いる市立船橋は、全国大会出場を果たすことになりました。
全国大会では2回戦まで駒を進めましたが、元日本代表の名波浩選手率いる清水商業に敗退し、ワッキーの高校サッカーは終わりました。
サッカーからお笑いへ
高校を卒業したワッキーは、プロのサッカー選手になることを志します。
そしてスポーツ推薦で、相方のヒデさんが先に進学していた専修大学へ入学することになりました。
しかしワッキーは、膝を怪我してしまい、プロの夢を断念せざるを得ない状況に陥ってしまいます。
完全に夢を絶たれたワッキーは、大学に通う意味も見失ってしまい、結局は大学も中退することになりました。
その後はタイ料理屋でバイト生活を送ることになりますが、一緒に働いていたタイ女性に恋をしてしまいました。
しばらくして、その女性が帰国することになり、ワッキーは彼女を追ってタイに行くことになります。
最終的には一人で日本に帰国することになりますが、タイ語をマスターしてしまったそうです。
方向性には疑問を感じますが、凄いエネルギーと行動力の持ち主ですよね。
その頃、相方のヒデさんはサッカー選手として順調に歩んでいました。
そして、Jリーグの横浜フリューゲルスからのスカウトを受けたいましたが、それを蹴って芸能活動を始めることになります。
ちょうどその頃、日本に帰国し、ブラブラしていたワッキーを誘い、1994年にお笑いコンビ「ペナルティ」を結成することになりました。
その後、長い下積み時代がありましたが、ブレイクを果たすことになります。
ブレイクするまであきらめないという、その根底には市立船橋時代に培われた根性があったのですね。
ワッキーと嫁の馴れ初めや子供は?
「ペナルティ」が売れて、徐々に収入が安定してきたワッキーは2007年に結婚しました。
お相手はワッキーよりも二歳年下で一般女性で元司会業の「あゆみ」さんという方です。
二人の馴れ初めは、1999年頃に横浜の営業先でMCを務めていたあゆみさんに、ワッキーが声をかけたところから始まりました。
当時はまだまだ売り出し中のワッキーでしたが、あゆみさんはワッキーの将来性を見込んでいたのでしょうか。
そして二人の交際が始まることになります。
ワッキーは周囲の仲間にもあゆみさんのことを紹介しており、話術に長けたあゆみさんとワッキーの会話は夫婦漫才のようだったそうです。
もともと司会業をされていたような方なので、頭の回転も速く、ワッキーのトークを上手いこと引き出していたのでしょうね。
そして二人の交際は順調に進みますが、あろうことか、ワッキーが浮気をしてしまいました。
その浮気は、週刊誌にも掲載され、ワッキーはバラエティ番組でカミングアウトすることになります。
なんとそれがきっかけとなり、8年という交際期間を経て、二人は結婚することになりました。
ワッキーの浮気が結婚のきっかけになったという経緯がイマイチ理解出来ませんが、あゆみさんはワッキーに対して最大のお灸を据えるという意味合いもあったのでしょうか。
その後、2008年10月には長男、そして2013年9月には長女が誕生しています。
ワッキーは子供たちと遊ぶ様子をSNSにアップしており、あゆみさんを支えながら、楽しく育児に励んでいる様子がうかがえます。
ちなみに、長男はインドア派の性格に対して、妹の長女の方が活発な性格のようなので、将来は長女をサッカー選手に育てようという目論見もあるようです。
ワッキーの現在の活躍は?
最近ではめっきりとテレビでその姿を見る機会が少なくなってしまったワッキー。
過去にはピンで旅番組に出演し、何の抵抗もなく相手の懐に飛び込む勇気と、ワッキーの憎めない人柄が人気でした。
その後売れていくとともに、ほかの芸人と共にバラエティ番組に出演する機会が増えていくことになります。
しかしそこでは、一流の芸人同士による熾烈な争いが待っていたのです。
ワッキーは大勢の芸人の中で特に際立つような話術を持たず、次第に顔芸や一発ギャグに活路を見出すようになっていきました。
いくつか面白いギャグを持っていましたが、それらも次第にウケなくなっていきます。
そして、驚異の身体能力を生かした番組にも出演していましたよね。
とはいえそれも単発で終わってしまうため、テレビに出続けるということは難しかったのです。
残すは、サッカー経験を生かしたスポーツ番組への出演ですが、そこでもトーク力が必要とされるため、ほかのタレントに取って代わることになります。
むしろ今では、相方のヒデさんの方がテレビで見ることが多くなったような気がします。
そんなワッキーの月収が、ついに14万円になってしまったことも暴露していました。
妻と子供2人を養っていくには到底無理な収入です。
しかも、1億円近くするマンションを35年ローンで購入してしまいました。
本当に月収14万円だとすると、気の遠くなるような額ですが、現在でも普通に生活しているということは、さすがにそれ以上の収入があるということですよね。
単発とはいえ、テレビでも決して見ないわけではないので、地方のローカル番組や営業でもしっかりと稼いでいるのでしょう。
やはりワッキーの良さが思い存分発揮されるのは、ピンでの旅番組なのではないでしょうか。
現地の人と自然体で触れ合うワッキー姿には、その人柄の良さを感じさせられます。
しかし、そんな旅番組にも熾烈な出演争いがあるのかもしれませんね。
北海道のローカル番組で、ワッキーのために、北海道の巡り旅をするという企画を考えてもらえないでしょうか。
↓ワッキーが芸能界から干されていた!? よしログ
おわりに
個人的には素の状態のワッキーの人柄が大好きです。
今回は敢えて触れませんでしたが、ワッキーの過去に起こした不倫事件が、タレントとしてのワッキーに大きなマイナスになってしまったことは間違いありません。
世間の目は厳しい(特に女性から)ので、ワッキーの番組を企画しても、視聴率が回復するのにはまだまだ時間がかかりそうですね。
しかし、そのような汚名は時間の経過と共に忘れられていくはずです。
今後も変顔や一発ギャグに磨きをかけてもらいたいところですが、それがかえって裏目に出ている感じもしますね・・・
とにかくワッキーと北海道は相性が良いと思うので、いっそのこと初心に帰り、北海道でのタレント活動に本気で力を入れてみてはいかがでしょうか。
北海道で生き生きとしたワッキーの姿が見られることを期待しております。
最後まで読んでいただき、誠にありがとうございました!
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