北海道のSTV(札幌テレビ)で活躍する吉川典雄アナウンサー。
今ではすっかりと北海道に馴染んでいますが、出身地は北海道ではありませんでした。
北海道のアナウンサーは、意外と道外出身者が多いのですが、吉川典雄アナもそのうちの一人です。
そこで今回は、吉川典雄アナの出身地、そして高校や大学などの経歴について紹介していきたいと思います。
それでは早速、見ていきましょう!
吉川典雄アナウンサーの出身地は?
まずは簡単に、吉川典雄アナのプロフィールから紹介しますね。
吉川 典雄(よしかわ のりお)アナは1974年生まれなので、2020年の誕生日で46歳になります。
アナウンサーの人は、人前に出る仕事が多いせいか、実年齢よりも若く見える方が多いですよね。
吉川典雄アナも、年齢よりか若く、いつも元気な印象を与えてくれます。
出身地は神奈川県の横浜市でした。
奇しくも筆者も同郷のため、何となく親近感がわいてきます。
血液型はA型ということなので、几帳面で真面目な性格の持ち主なのでしょうね。
身長は174㎝ということなので、思ったよりかは小柄でした。
そして吉川典雄アナは結構多趣味で、箱根駅伝の戦力分析・プロ野球観戦・キャンプ生活・BBQなどなど色々とお持ちです。
キャンプとBBQに関しては、横浜よりも大自然の広がる北海道の方が適しているため、そういう部分で北海道に憧れを抱いていたのかもしれませんね。
そして好きな食べ物は、道産納豆・山岡屋のラーメン・焼きそば弁当なのだそうです。
同郷の筆者としては、いちいち頷けますねー。
特に山岡家のラーメンは、北海道に来てから初めて知り、その味には大きなインパクトを覚えた記憶があります。
そして焼きそば弁当に関しては、吉川典雄アナの気持ちが本当に良く分かります。
焼きそば弁当は北海道エリアでしか販売しておらず、横浜で食べることが出来ません。
関東でカップ焼きそばと言えば、ペヤングのソース焼きそばやUFOが定番でした。
しかし、北海道に移り住んでからは、カップ焼きそばと言えば「焼きそば弁当」の一択になっており、毎週のように食べています。
話がそれてしましましたが、吉川典雄アナも今では完全に北海道を愛する道外出身者の一人となっているのですね。
吉川典雄アナウンサーの高校や大学は?
吉川典雄アナとはほぼ同世代なのですが、当時の神奈川県の公立高校は学区制となっており、住んでいる地域によって、受験できる公立高校が決まっていました。
吉川典雄アナの通っていた高校は「横浜緑が丘高等学校」という所で、横浜の中でも中心部に位置する学校です。
それを考慮すると、吉川典雄アナの実家の場所も、ある程度想像できます。
そしてその公立高校は、全国的にも高校数の多い神奈川県の中でも、トップ10に入る進学校でした。
当時の受験システムは、現在とは少し変わっていると思いますが、とにかく中学校の3年間を通して、トップレベルの成績を維持していないと合格することが出来ません。
いくら受験勉強を頑張っていても、持って生まれた頭の良さが無いと、入れないような学校です。
筆者にとっては、吉川典雄アナは、その時点で雲の上のような存在です・・・
そんな吉川典雄アナは、高校時代にはラグビー部に所属していました。
だから、2019年のラグビーワールドカップの際には、STVの応援アナウンサーに選ばれていたのですね。
学生時代の得意科目は体育と国語ということなので、まさに文武両道を地で行くような人物です。
その得意な国語をさらに生かすべく、「早稲田大学第一文学部」に入学しました。
それにしても頭が良すぎますよね・・・
得意科目というレベルが、異次元の世界です。
そんな吉川典雄アナは、大学卒業後の人生を北海道でアナウンサーとして生きていくことに決めました。
あの卓越した話術と頭の回転の速さは、生まれ持った才能に、さらに磨きをかけて構築されていったものなのですね。
吉川典雄アナウンサーの北海道での活躍
吉川典雄アナは、1998年にSTVに入社し、北海道でのアナウンサー人生を開始します。
特に目立った存在ではありませんでしたが、アナウンサーとしての一般業務をこなしつつ、徐々にその実力に磨きをかけていくことになりました。
とはいえ、どちらかといえば、テレビよりもラジオに重きを置いた活動を続けていくことになります。
一般的に言えば、ラジオよりもテレビで活躍する方が、アナウンサーとしては、華やかな感じがしますよね。
それに関しては、本当に適材適所でもあるし、本人の気持ちが大きいと思います。
吉川典雄アナにとっては、ラジオで自分の気持ちを伝えることの方が性に合っていたのでしょうね。
そして、ラジオでの業務の重要性を気付かされたのが、日高晤郎さんとの出会いだったと思います。
北海道では知らない人がいないというくらい有名な、今は亡き、日高晤郎さんの存在は絶大なものでした。
日高晤郎さんは、1983年から35年にもわたり、毎週土曜日に9時間生放送というラジオ番組の「ウィークエンドバラエティ 日高晤郎ショー」のパーソナリティーを務めていました。
その放送の中で、吉川典雄アナもリポーターなどを務めていました。
そこでは、日高晤郎さん特有の歯に衣着せぬ物言いと、愛情のこもった語り口を目の当たりにした吉川典雄アナは、一人間としての考え方を学ぶことになります。
人と人とのつながりを第一に考え、北海道民を明るく楽しませようという、日高晤郎さんの姿勢に感銘を受けることになりました。
そして、吉川典雄アナも道外出身者でありながら、北海道のことを本当に愛し、地元に根付くようなアナウンサーになることを目指します。
吉川典雄アナの、そのような姿勢を周囲の人間も徐々に受け止めるようになりました。
その結果、2018年4月3日に逝去した日高晤郎さんのあとを受け、2018年4月14日 ~2019年3月23日まで、「ウィークエンドバラエティ日高晤郎ショー フォーエバー」のパーソナリティーを務めることになります。
その重圧たるや、トンデモナイものだったのではないでしょうか。
絶対に超えることのできない日高晤郎さんですが、恩返しの意味も大きかったのかもしれませんね。
その1年間の経験は、吉川典雄アナにとっては、本当に言葉には言い表せられないようなものだったに違いありません。
ある意味、そのような経験を出来たということが、本当に幸せなことだったのではいでしょうか。
その後も吉川典雄アナは、ラジオを中心とした活動を続けていくとことになります。
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おわりに
もともと北海道への憧れが強かった吉川典雄アナ。
そして、アナウンサーとして、北海道で活躍することになりました。
エリート街道まっしぐらであったはずの吉川典雄アナですが、あえて北海道に渡ってきたということには、人生において大きな意味がありました。
そして今では、完全に北海道民として生きています。
道外出身者のアナウンサーが、北海道のことを語るということに抵抗を感じるという人もいますが、逆にそれだけ北海道を愛していると言えるのではないでしょうか。
そして吉川典雄アナは、震災のチャリティーなどにも積極的に参加するような人物でもあります。
その純粋で敬愛なる精神をもって、今後も北海道の活性化のために頑張ってもらいたいと思います。
最後まで読んでいただき、誠にありがとうございました!
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