プロテニスプレーヤーとして大活躍中の大坂なおみ選手。
今でこそアメリカで生活していますが、そのルーツをたどっていくと北海道にありました。
大坂なおみ選手の父親と母親が紆余曲折を経て現在に至ってるわけですが、どういういきさつがあったのかが気になりますよね。
そこで今回は大坂なおみ選手の父親と母親との北海道での馴れ初めなどについて紹介していきたいと思います。
それでは早速、見ていきましょう!
大坂なおみの父親と母親は?
大坂なおみ選手の父親は、ハイチ共和国南部の港町ジャクメルで生まれました。
お名前は、レオナルド・マキシム・フランソワ(Leonard Maxime Francois)さんとおっしゃいます。
高校はアメリカのシカゴにあるチルデン高校を卒業しています。
そして大学は、アメリカでも最も歴史のある大学の一つであるニューヨーク市立大学(CUNY)という名門校を卒業しました。
ハイチからアメリカに移住し、名門校を卒業した父親は、相当優秀な人物だったのですね。
しかも身長が190㎝で体重が100㎏という恵まれた体格を生かし、バスケットボールやアメリカンフットボールをやっていたそうです。
そんな文武両道の精神が、テニスのトッププレーヤーである大坂なおみさんを育て上げたのですね。
一方、大坂なおみさんの母親は、大坂 環(おおさか たまき)さんとおっしゃいます。
出身地は北海道の根室市というところでした。
ちなみに母親も根室ではスピードスケートの選手として活躍していたそうです。
根室市は北海道の最東端に位置しており、札幌からも相当遠いのですが、高校からは札幌の学校に進学することになります。
詳しい学校名は公にされていませんが、札幌市内にある私立の学校は極端に少ないため、ある程度絞られてきます。
遠方から札幌に娘を送り出すのですから、ある程度規律の整った寮のある女子高だったのではないでしょうか。
高校卒業後は得意の英語を生かして、大手英会話学校に勤務することになります。
そこで運命の出会いをすることになりました。
大坂なおみの父親と母親の馴れ初めは?
大坂なおみさんの父親は大学卒業後に来日し、北海道札幌市にある大手英会話学校で働いていました。
そこで出会ったのが母親の環さんだったのです。
父親のフランソワさんの方が、環さんに惚れ込んでしまったのでしょうか?
そして二人の間は徐々に縮まり、交際の発展することになりました。
二人は札幌や道内各地でデートを重ねていったのでしょうね。
ところが二人の交際を環さんは、根室にいる両親には秘密にしていました。
両親に二人の交際を告げても、どこの馬の骨ともわからない異国の人物との交際には、絶対に反対されることが分かっていたのでしょうね。
それからしばらくして、環さんの父親がお見合い話を持ってくるようになります。
最初は環さんもフランソワさんのことを告げずに、父親の話を断っていました。
何回かお見合い話を重ねていくうちに、さすがに隠しきれなくなった環さんは、フランソワさんとの交際を父親に正直に告白しました。
環さんの危惧していた通り、父親は激高し、環さんは酷く罵られ、勘当状態になってしまいます。
同じ娘を持つ父親の私としては、環さんの父親の気持ちも分からなくもありませんが、何となく切ない気持ちになってしまいますね。
結果的に二人は札幌を離れ、大阪に引っ越して新しい職場を見つけ、新婚生活を始めることになりました。
ほどなくして、1996年には長女の大坂まりさんが誕生し、1997年には大坂なおみさんが次女として誕生することになります。
娘を勘当したとはいえ、その間も環さんの父親は娘夫婦や孫たちのことを常に気にしていたそうです。
ますます切ない気持ちになってしまいます・・・
大坂なおみのテニスでの活躍
そもそも、大坂なおみ選手とテニスとの出会いが気になりますよね。
大坂なおみ選手の父親はテニスの経験が全くなかったのですが、テレビで見ていたセレーナ・ウィリアムズとヴィーナス・ウィリアムズの姉妹対決に感動し、娘たちにもテニスを始めさせることになりました。
しかも父親自身がテニスを教えることになったのです。
そこからは、テニス経験のない父親もビデオや本などを見てテニスを徹底的に研究することになりました。
さすが頭脳明晰で、運動能力にも長けている父親ですよね。
試行錯誤を繰り返しながら、娘たちへの指導にますます熱が入るようになります。
そしてさらに高いレベルで娘たちを鍛えようと、2001年には家族全員でアメリカのニューヨークに移住することになりました。
父親の行動力が凄すぎますよね!
その後もさらに娘たちに対するテニスの環境を良くするために、2006年にはアメリカのテニスの聖地でもあるフロリダに引っ越したそうです。
フロリダに移り住んでからは、完全にテニス一色の生活が始まりました。
日中は市営のテニスコートで日が暮れるまで、姉妹は練習漬けとなります。
そして家に帰ってから勉強するという日々を続けていました。
その努力が実り、2007年8月に行われた「全国公共公園テニス協会選手権」で姉妹は14歳以下女子ダブルスで優勝することになります。
それと同時に14歳以下のフロリダ選抜に選ばれました。
その後も父親指導のもと、大坂なおみ選手は徐々に頭角を現すことになります。
すんなりとはいきませんでしたが、プロデビューを果たし、着実に成績を残していくことになりました。
そして、完全に世界で戦うレベルに達した大坂なおみ選手の成長を見届けて、父親は2017年12月いっぱいで、コーチの座を退くことになります。
そして2019年に全豪オープンで初優勝を果たし、アジア人初となる世界ランキング1位に輝くことになりました。
まさに、父親の存在無くしては成しえなかった快挙です。
今でも大坂なおみ選手のコーチ問題があまり上手くいっていないようなので、再び父親にコーチをお願いした方が良いのかもしれませんね。
↓”He annoys me so much!” – Naomi Osaka On Dad’s Coaching! | 大坂なおみ
おわりに
大坂なおみ選手が世界的快挙を成し遂げた背景には、様々な困難や環境の変化が存在していました。
それらを克服し、自分の力に変えていけるという能力も凄いですよね。
もちろん、大坂なおみさんの恵まれた体格と運動神経の高さがあってのことだとは思います。
そして何よりも、家族全員の強い絆によって、精神的な安定を得ることができているということが一番大きいのかもしれませんね。
父親のフランソワさんと母親の環さんが札幌で出会い、交際に繋がったということが道民にとっては、本当にうれしく思います。
大坂なおみ選手の活躍は必然だったのかもしれませんが、奇跡でもあるように感じさせてくれます。
今では環さんの父親とも和解したそうなので、本当に良かったですねよ。
大坂なおみ選手の活躍はまだまだこれからだと思うので、大いに期待しております。
少し余裕ができたら、北海道にも遊びに来てくださいね!
最後まで読んでいただき、誠にありがとうございました!
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