新型コロナウィルスが世界中で猛威を振るう中、オーストラリアにあるモナシュ大学の研究チームが、その治療薬になりうるイベルメクチンの研究結果を発表しました。
イベルメクチンが新型コロナウィルスの複製を48時間以内に止めるという内容です。
この発表には世界中から注目が集まり、新型コロナウィルスの治療薬として、出来るだけ早い実用化が期待されています。
さらに驚くべきことに、イベルメクチンを開発したのが、日本人の大村智教授だということでした。
しかも、大村智教授は、2015年にノーベル生理学・医学賞を受賞したという凄い人物だったのです。
そこで今回は、大村智教授やイベルメクチンについて紹介していきたいと思います。
大村智教授について
大村智教授は、ノーベル賞を受賞するくらいの方なので、ずっと研究職一色の生活を送られてきたのかと思いきや、様々な顔を持つ文武両道の努力家だったのです。
そこで、大村智教授の生い立ちから順に紹介していきますね。
しかし、あまりにも凄い経歴のため、少し省略させて頂く部分もあります。
生い立ち
大村智(おおむらさとし)教授は、1935年7月12日生まれで、山梨県北巨摩郡上山村(現:韮崎市)の出身です。
5人兄弟の2番目で長男として生まれたため、耕作や家畜の世話などの家業を手伝っていました。
そのため、高校卒業までは、勉強をほとんどしていなかったそうです。
しかし、高校では、スキー部と卓球部で主将を務め、国体にも出場するほどの運動能力にも長けていました。
1954年に山梨県立韮崎高校を卒業後は、山梨大学学芸学部(現:教育学部)自然科学科の入学し、クロマトグラフィーを習得します。
大学での成績もあまり芳しくなかったようですが、1958年に卒業しました。
その後、埼玉県浦和市(現:さいたま市浦和区)に移住し、都立隅田工業高校定時制にて、5年間、物理や化学の授業を担当しました。
その際に、学生たちの熱心に学業に励む姿に心を打たれ、大村智教授自身も再度、学業に打ち込みたいと強く思うようになります。
そして、1960年に東京教育大学の研究生となり、同じ年に東京理科大学大学院理学研究科に進学しました。
高校教諭として働きながら、1963年に同大学院の修士課程を修了します。
そこから本格的に、研究者として生きていくことになったのです。
研究者としての経歴
修士号を取得した大村智教授は、1963年に文部教官として採用され、山梨大学工学部発酵生産学科の助手となります。
その後、北里研究所の研究員採用試験に合格し、1965年から北里研究所研究部抗生物質研究室技師補として赴任しました。
そして、北里研究所で執筆した論文によって、東京大学から薬学の博士号を授与されることになり、北里大学薬学部の助教授にも就任します。
さらには、1970年に執筆した論文により、東京理科大学から理学の博士号を授与されました。
それにより、東京理科大学でも薬学部の非常勤講師を務めることになります。
1971年には、アメリカにあるウェズリアン大学の客員教授を兼任することになり、研究費の獲得にも成功します。
大村智教授は、そのままアメリカで研究を続けようと考えていましたが、北里研究所の研究室長が退職するため、その後任として、日本で研究を続けることになりました。
1973年には、北里研究所の抗生物質研究室の室長に就任するのと同時に、メルク・アンド・カンパニーとの共同研究を開始することになります。
また、1975年には、北里大学薬学部の教授に就任し、自身の研究室からは、多くの研究者を生み出すことにも尽力しました。
北里研究所の経営再建など
大村智教授は、研究者としてだけではなく、経営者としてもその手腕を発揮することになります。
当時、財政状況の悪化していた北里研究所の経営再建に乗り出すため、1984年に北里大学の教授を辞職し、北里研究所の理事として副所長に就任しました。
そこで、一から経営学と不動産学を学び、北里研究所の経営再建に尽力することになります。
さらには、1990年に北里研究所の所長に就任し、北里研究所の経営再建に、ある程度の道筋を付けることに成功しました。
その後、2008年に北里研究所の所長を退任し、2012年6月まで名誉理事長を務め、2012年からは顧問に就任しています。
なお、その間にも北里大学にも在籍しており、2001年には大学院研究部門の教授にも就任しました。
また、2002年から2007年までは、大学院教育部門の教授を務めることになります。
2007年には北里大学より名誉教授の称号を授与され、2013年からは特別栄誉教授にもなっています。
北里グループ以外の教育研究機関においても教授を務めるとともに、女子美術大学の理事長も務めていました。
さらに凄いのが、大村智教授は美術に対する造詣が深く、美術品の収集家としても有名でだったのです。
そして、2007年に私費で5億円を投じ、故郷の山梨県韮崎市に韮崎大村美術館を建設し、初代館長を務めていました。
イベルメクチンとは?
大村智教授は、「線虫の寄生によって引き起こされる感染症に対する新たな治療法に関する発見」により、ウィリアム・キャンベルと共に2015年ノーベル生理学・医学賞を受賞しました。
大村研究室によって発見された化合物のうち、実用化された医薬品や試薬は25種類にも及んでいます。
その中の一つに、今回注目を集めることになった「イベルメクチン(駆虫薬)」 がありました。
開発の経緯
北里研究所で研究を続けていた大村智教授は、静岡県伊東市川奈の土壌から放射菌の一種(Streptomyces avermitilis)を採取しました。
その菌には、アベルメクチンという物質を作り出す能力があることを、1979年に発見します。
そしてこの物質が、マウスに寄生した線虫を殺す能力があることが分かりました。
その能力を活用し、当初は牛などの家畜用の寄生虫感染症に対する薬として開発されることになります。
その後、アベルメクチンからイベルメクチンを開発することになりました。
そして、イベルメクチンが発展途上国の人たちを苦しめていた河川盲目症という寄生虫感染症にも効果があることが分かります。
そこから、ヒト用のイベルメクチンが開発されることになったのです。
さらに、イベルメクチンには、象皮病にもなるリンパ系フィラリア症や糞線虫などにも効果があることが分かりました。
結果的には、熱帯・亜熱帯地域を中心とする発展途上国の多くの人たちを救うことになったのです。
新型コロナウィルスの治療薬
世界中で新型コロナウィルスの治療薬の開発が進められています。
様々な医薬品が試されていますが、その中の候補として、オーストラリアにあるモナシュ大学の研究チームが目をつけたのがイベルメクチンだったのです。
そして、研究の結果、イベルメクチンが新型コロナウィルスの増殖を抑え、ウィルス数を劇的に減少させる可能性があることを発表しました。
とはいえ、その実験はまだ細胞レベルの実験室内でのことなので、今後さらに研究を進め、さらに高度な実験にもいち早く踏み出してもらいたいですよね。
そして、いずれ実用化となるわけですが、ここでもイベルメクチンが、様々な意味で便利であることが分かります。
というのも、イベルメクチンは、30年間にも渡り多くの人に使用されてきたという実績があります。
そうなると、イベルメクチンが新型コロナウィルスの治療薬として適していると証明された場合には、認可を受けるための、時間のかかる臨床試験を省くことが可能です。
副作用などの資料も豊富にあるため、認可も早く降りるのではないかとも言われています。
さらには、イベルメクチンは既に多くのストックがあり、生産ラインも整っています。
また、大村智教授は特許を放棄しているため、安価でスピーディに、世界中に供給できることが可能ですよね。
このように、すべての条件を満たしているということで、イベルメクチンの可能性には、大きな期待が寄せられているのです。
おわりに
イベルメクチンの他にも、アビガンや日本株のBCGにも期待が寄せられています。
それらのすべてが日本で開発されたものであり、日本人が新型コロナウィルスから世界中の人を救う可能性がありますよね。
しかし最近では、日本の基礎研究のレベルが低下しているという指摘もあります。
昔の日本人は凄かった!と過去形にするのではなく、これを機に、基礎研究の重要性も認識するべきなのではないでしょうか。
とはいえ、大村智教授イズムを引き継いでいる、多くの研究者もいるので、今後も頑張ってもらいたいですよね。
そして、イベルメクチンの有効性が証明され、世界中に供給が始まるのを、楽しみに待ちましょう。
最近は本当に暗いニュースが続いていますが、今回のニュースは希望が持てますよね。
最後まで読んでいただき、誠にありがとうございました!
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