クリスマスシーズンになると、公認サンタクロースのニュースをよく目にしますよね。
日本人の中でも、アジア地域で唯一の公認サンタクロースとして活動されているのが、パラダイス山元さんです。
そんなパラダイス山元さんなのですが、ご存じない方も多いのではないでしょうか。
公認サンタクロースのほかにも、様々な活動をされているようですが、マイルの達人という噂もあります。
そこで今回は、パラダイス山元さんのプロフィールや経歴もあわせて紹介していきたいと思います。
それでは早速、見ていきましょう!
もくじ
パラダイス山元(公認サンタクロース)って誰?
パラダイス山元さんは公認サンタクロースとして活動されていますが、その活動はほぼボランティアのため、それで生計を立てているわけではありません。
パラダイス山元さんの本業は、ラテン音楽を中心としたマンボミュージシャンだったのです。
その他にも本を出版したり、映画監督を務めるなど、幅広い活動を行っており、テレビにも出演することもあります。
顔を見たら分かる人も意外と多いのかもしれませんね。
パラダイス山元(公認サンタクロース)のプロフィール
まずは簡単に、パラダイス山元さんのプロフィールから紹介しますね。
パラダイス山元さんは、1962年11月19日生まれなので、2019年の誕生日で57歳になっています。
血液型はA型ということなので、几帳面で真面目な一面もお持ちなのでしょうね。
北海道札幌市の出身で、「北海道札幌市立柏中学校」を卒業しています。
そして、パラダイス山元さんの凄いところは、北海道の最難関高校である「北海道立札幌南高等学校」を卒業していたということです。
北海道民は、その卒業校の名前を聞くと、パラダイス山元さんは、ただものではないということを想像してしまいます。
と同時に、頭が良くないと公認サンタクロースにはなれないのだとも感じさせられました。
そんなパラダイス山元さんは、高校卒業後に大学進学のため、上京することになります。
パラダイス山元(公認サンタクロース)の大学や会社員時代
パラダイス山元さんの進学した大学は、「日本大学芸術学部美術学科」でした。
勉強のできたパラダイス山元さんは、美術の才能にも恵まれていたのですね。
ちなみに、同級生にはハイパーメディアクリエーターの高城剛さんがいたそうです。
1987年に大学を卒業したパラダイス山元さんは、富士重工業株式会社(スバル)入社しました。
そして、 技術本部開発部デザインセンターの配属となり、カーデザイナーとして活躍することになります。
数々の名車のデザインを手掛けてきましたが、1991年に退社し、 音楽活動を始めることになります。
パラダイス山元(公認サンタクロース)の音楽活動
会社を辞めたパラダイス山元さんは、「東京パノラママンボボーイズ」を結成し、1991年にメジャーデビューを果たしました。
パーカッションを担当していたパラダイス山元さんですが、それまでに音楽に関する経験があったのでしょうか。
いきなりメジャーデビューできる実力を持っているなんて、本当に凄いことですよね。
もともと様々な才能を持っていたパラダイス山元さんですが、音楽の才能にも恵まれていたということに驚きです。
そして、音楽でも成功し、数々のヒット曲を生んでいきました。
私の記憶に残っているのは、「パチンコ」という曲です。
「パッチンコ、パッチンコしましょ!パッチンコ、パッチンコしましょ!」
と昭和の香りが満載なテンポの良い、ラテンミュージックなのですが、とにかくそのメロディが耳に残る名曲です。
世代にもよりますが、この曲の人ね!と気が付かれる方も多いのではないでしょうか。
また、NHKのおかあさんといっしょでは、「たこやきなんぼまんぼ」と作曲を手掛けたりもしています。
なお、「東京パノラママンボボーイズ」は1993年に一旦解散しましたが、2006年から再度活動を始め、現在に至っています。
↓↓東京パノラママンボボーイズ パチンコ PV
パラダイス山元(公認サンタクロース)はマイルの達人
パラダイス山元さんは乗り物マニアでもあり、特に飛行機に関しては、マイルの達人としても有名でした。
最高では1日で11回も飛行機に搭乗したことがあるそうです。
目的地に行くために、飛行機を使うという考え方ではなく、とにかく飛行機が大好きで、飛行機の搭乗回数が増え、必然的にマイルも貯まっていくのだとか・・・
ちなみに、パラダイス山元さんは東京から名古屋に行くために、ヨーロッパを経由したというエピソードを持っていました。
常人には考えつかない発想ですよね。
そしてその行動力と、経済力や時間に余裕が無ければ無理なことです。
私も飛行機が大好きなので、そんな生活が出来たらな~と羨ましく思いますね。
そんなパラダイス山元さんなのですが、ANAマイレージクラブの最上級会員である「ダイヤモンドサービスメンバー」というステイタスを、今でも毎年維持しています。
仕事で飛行機に搭乗する機会も多いとは思いますが、ステイタスの維持という意味でも、飛行機を利用しているのですね。
ここまでくると、もはやマイルの達人という域を突き抜けています。
そして、2013年には「パラダイス山元の飛行機の乗り方」という本も出版していました。
本当に心から飛行機を愛しているという気持ちが伝わってくる本です。
パラダイス山元(公認サンタクロース)のほかの顔
先ほども触れましたが、パラダイス山元さんには、マンボミュージシャンのほかにも、様々な活動をされていました。
公認サンタクロース
デンマークに本部を持つ「グリーンランド国際サンタクロース協会」という組織が存在します。
パラダイス山元さんは、1998年の35歳の時に、史上最年少でその協会の「公認サンタクロース」になりました。
↓↓詳しくはこちらの記事をご覧下さい!
日本人で唯一の公認サンタクロースは北海道出身!高校や大学などの経歴も紹介
公認サンタクロースとしての活動は、ほぼボランティアなのだそうです。
そして毎年、デンマークのコペンハーゲンで「世界サンタクロース会議」が開催されており、パラダイス山元さんも毎年欠かさず参加しています。
この公認サンタクロースとしての活動でも飛行機を多用し、マイルを貯めているのでしょうね。
餃子職人
パラダイス山元さんは餃子づくりの名人でもありました。
なんと、あのタモリさんに、芸能人の中で餃子を作らせたら一番上手いのは、タモリさん自身を除いては、パラダイス山元さんだとウェブ上に記載されたそうです。
そして、会員制の餃子専門店「蔓餃苑」のオーナーシェフも務めていました。
場所や営業時間は非公開となっており、会員にしかその情報が流されないそうです。
ひとくちに餃子といっても、パラダイス山元さんによるアレンジにより、様々な種類の餃子を堪能できるそうです。
秘密のベールに包まれているため、余計に食べたくなってしまいますよね。
さらに凄いのが、「餃子のスゝメ」という本も出版していました。
何とか、「蔓餃苑」の会員になれるルートを見つけだしたいところですが・・・
マン盆栽家
パラダイス山元さんは「マン盆栽」の家元でもありました。
盆栽にフィギュアなどを飾り付け、箱庭的な空間を生み出したものです。
「マンボ+盆栽」でマン盆栽と名付けました。
パラダイス山元さんは、その普及活動にも力を入れており、展覧会を開催しています。
ところが、生粋の盆栽愛好家からは、幾度となくバッシングを受けていました。
しかし、パラダイス山元さんはそのような声に臆することなく、多くのマン盆栽の書籍を出版しています。
さらには、マン盆栽の映画、「盆栽少女」の監督も務めました。
想像力豊かで、自分の信念を絶対に曲げないという根性が凄いですよね。
入浴剤ソムリエ
パラダイス山元さんは「入浴剤ソムリエ」という肩書もお持ちでした。
パラダイス山元さん自身がプロデュースした入浴剤も発売したそうです。
さらには、入浴に関する書籍も出版しています。
ここまでくると、凄すぎて何もコメントのしようがありません・・・
おわりに
初めは、単純に日本人のサンタクロースの存在を調べていたのですが、パラダイス山元さんが、ここまで奥深い人物だとは知りませんでした。
しかも、北海道の出身でありながら、世界的に活躍しているということに驚きです。
それに関しては、パラダイス山元さん自身の持っている好奇心の強さや探求心が、持って生まれた才能であったということですね。
その才能を遺憾なく発揮するという努力も、想像を絶するものであったことには間違いありません。
とはいえ、本人にとっては、その努力を努力と感じないという才能にも恵まれていたということです。
2018年のクリスマスの際には、北海道地震の慰問のために北海道にも足を運んでくれました。
そんなパラダイス山元さんの行動には、北海道を愛する気持ちを忘れていないということを感じさせられました。
今後も、公認サンタクロースとしての活動はもとより、様々な分野での活動も続けてもらいたいと思います。
最後まで読んでいただき、誠にありがとうございました!
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