北海道を代表する有名人の一人として活躍する大泉洋さん。
ブレイクのきっかけは、みなさんもご存知の「水曜どうでしょう」でしたね。
そして地元愛の強い大泉洋さんは、今でも北海道のローカル番組に出演し続けています。
そこで今回は、そんな大泉洋さんの高校や大学などのプロフィールを紹介していきたいと思います。
それでは早速、見ていきましょう!
大泉洋のプロフィールは?
まずは大泉洋さんの名前の由来から紹介しますね。
大泉 洋(おおいずみ よう)さんの名前に関しては、母親は当初、「洋」の後にもう一文字付け加えようと考えていたそうです。
そして出生届を父親に託した際に、「ちゃんと一文字付け加えてね」とお願いしました。
ところが父親は「洋」という一文字にこだわり、しかも「よう」という読み方に決めて、出生届を提出したそうです。
もしかしたら、「洋平」などになる可能性もあったのですね。
生年月日は1973年4月3日生まれなので、2019年の誕生日で46歳になりました。
筆者と完全に同世代ということもあり、北海道で活躍し始めるころから親近感を持って応援しています。
身長は178㎝でスタイルも抜群ですよね。
そして血液型はB型ということなので、生まれ持っての天才肌なのでしょうか。
特技はギターということですが、意外でした。
とはいえ、お芝居で歌ったり、歌手としての実績も残しているため、音楽的な才能にも恵まれていたのですね。
ちなみに7歳年上の兄(潤さん)との2人兄弟です。
さらには両親ともに教師という、非常に真面目な家庭環境で兄弟ともに育てられました。
兄の潤さんはとても優秀な方で、現役で早稲田大学に進学しています。
ところが、潤さんも非常に北海道愛の強い方で、早稲田大学卒業後にあえて北海道に戻り、函館市役所に勤務しています。
そして、根が真面目な大泉洋さんも高校の教員免許を取得しています。
芸能界に進む前は、教師になると決めていたそうです。
そんな大泉洋さんなのですが、どうやって芸能界で大活躍するようになったのでしょうか。
そこには、大泉洋さんの子供の頃からの性格も影響していました。
大泉洋の小学時代
北海道江別市大麻出身の大泉洋さんは、1980年4月に地元の「江別市立大麻東」へ入学します。
当時から先生のモノマネを披露したりして、クラスでも非常に目立つ存在でした。
本人も人前で目立つことが大好きだったそうです。
そして、お笑い番組が大好きでテレビをよく見ていました。
両親が教師なので非常に厳格な家庭環境なのかと思いきや、勉強に関しては特に強く強要することもなく、兄弟それぞれの性格に合わせてという、比較的自由な教育方針だったのですね。
大泉洋さんのもともと持っていたタレント性は、そのような教育方針で、さらに磨かれていったのかもしれません。
その後、大泉家は父方の祖父が住む、札幌市に引っ越すことになります。
それにより、大泉洋さんは6年生に進学するタイミングの1985年4月に「札幌市立真駒内南小学校(現:真駒内桜山小学校)」に転校することになりました。
人気者だった大泉洋さんが転校することを知ったクラスメイト達は、非常に残念がり、本当に転校することを信じようとしなかったそうです。
もちろん大泉洋さんも転校することを聞かされた時には、相当なショックを受けました。
同時に転校先で馴染むことができるのかという不安に襲われることになります。
しかし、いざ転校してみると、最初の1か月間はイジメられないように大人しくしていたそうですが、徐々に大泉洋さんの本領が発揮されることになりました。
転校してからも目立ちたがり屋の血が騒いだ大泉洋さんは、自作のコントなどを披露するようになり、あっという間にクラスの人気者となっていきました。
しかも、大泉洋さんのファンクラブまで出来たそうです。
たった1年でそこまでの存在になるということが凄いですよね。
その時点で一流タレントとしての片鱗を見せつけられた感じがします。。
ちなみに、小学校6年生になる頃から、両親が聴いていた落語にハマり、それを丸暗記してしまったそうです。
現在の大泉洋さんのトーク力の原点はそこにあったと自身でも語っています。
とはいえ、そもそものトーク力があったからこそ、クラスの人気者になれたような気もするのですが・・・
大泉洋の中学時代
1986年4月に「札幌市立真駒内中学校」に進学した大泉洋さんの人気は衰えることを知りませんでした。
中学時代の大泉洋さんは自身でも「学校のスター」だったと語っています。
当然のことながら、女子からは毎年のように多くのバレンタインデーチョコをもらっていました。
その中でもある女子は、中学校の3年間連続でずっとチョコを渡し、泣きながら告白もしたそうです。
ところが大泉洋さんは恥ずかしかったのか、その女子と交際に発展することはありませんでした。
大泉洋さんは、ほかに意中の女子がいたのでしょうか。
そんな大泉洋さんでしたが、女子からだけではなく男子からも人気があり、本当に学校のスターだったようです。
そして、みんなを積極的に引っ張っていくといった、リーダーシップも持ち合わせていました。
同時にに、とにかく人を笑わせることが大好きで、大泉洋さんの周りには笑いが絶えませんでした。
それを見ていた担任の先生からは、進路相談の際に、「お笑いの世界」を勧められたそうです。
担任の先生は、大泉洋さんの両親が教師であることを知りながらも、そのような提案を持ち出したということは、本気でお笑いの世界で通用すると思っていたのでしょうね。
さすがに中学を卒業してすぐにお笑いの世界に飛び込むということはありませんでした。
大泉洋の高校時代
結構成績の良かった大泉洋さんは1989年4月に「札幌市立藻岩高校」に進学しました。
「札幌市立藻岩高校」は札幌市内でも比較的上位の偏差値を有する学校です。
大泉洋さんの自由奔放な中学生時代のイメージが強かったのですが、勉強もしっかりと行っていたのですね。
そして、帰宅部だった大泉洋さんは、高校に進学してからも落語を続けていました。
特に落語家として生きていこうとは考えていませんでしたが、そのトーク力にさらに磨きをかけていくことになります。
高校時代は連日のように、放課後には友達たちとおしゃべりに花を咲かせていたそうです。
ちなみに、高校時代には彼女が出来たそうですが、彼女が東京へ引っ越したため、しばらくは遠距離恋愛を続けていました。
しかし高校生ともなると、そろそろ将来のことを本格的に考えなくてはなりません。
大泉洋さんも受験勉強に集中するようになります。
そして大学受験では、人生で初めての大きな挫折を味わうことになりました。
大泉洋の大学時代
実は大泉洋さんの兄の潤さんは、現役で早稲田大学に進学していたのです。
大泉洋さんも兄に続けとばかりに、早稲田大学を第一志望に受験を試みました。
ところが、滑り止めの法政大学には合格したものの、早稲田大学には不合格となってしまいます。
どうしても早稲田大学に進学したかった大泉洋さんは、その後、2年間の浪人生活に突入します。
しかし、結果的には早稲田大学に合格することができず、1994年4月に「北海学園大学」に進学しました。
とはいうものの、失意のどん底にいた大泉洋さんは、完全にやる気を失っており、大学に通う目的も分からなくなっていました。
そんな大泉洋さんの目に留まったのが「演劇研究会」だったのです。
浪人中に演劇に興味を持った大泉洋さんは、気持ちを切り替えようと「演劇研究会」に入ることに決めました。
そこで出会ったのが森崎博之さん、安田顕さん、戸次(佐藤)重幸さん、音尾琢真さんだったのです。
学年や年齢こそバラバラでしたが、5人は意気投合して、演劇ユニットの「TEAM-NACS」を結成しました。
演劇という生きがいを見出した大泉洋さんは、完全に気持ちを立ち直したのです。
そして当初の目的でもあった、教員免許も取得しました。
しかし、大泉洋さんの人生は、教師という道から徐々に外れていくことになります。
大泉洋と「水曜どうでしょう」
演劇にのめり込んでいた大泉洋さんは、その存在感が認められ、大学在学中に鈴井貴之さんの事務所に所属することになります。
そして、1995年10月に北海道テレビの深夜番組である「モザイクな夜3」に出演したことをきっかけに芸能活動を始めることになりました。
その翌年の2016年10月からは、いよいよ「水曜どうでしょう」に出演を果たすことになります。
そこから徐々に北海道内での知名度が上がり、タレント活動を活発化させていきました。
本当にくだらない企画から、長期シリーズ化した企画までと盛りだくさんでしたよね。
当時の私も「水曜どうでしょう」を欠かさず見ており、腹がよじれるほど笑わせてもらいました。
そして「水曜どうでしょう」の放送された次の日には、大学の仲間と「水曜どうでしょう」の話で盛り上がったのを覚えています。
しかし、大泉洋さんの母親は、息子に早く定職に就いてもらいたかったようです。
とはいえ、そこからは破竹の勢いで全国で活躍するようになり、今では日本のトップタレントとして活躍するようになりました。
そして、大泉洋さんに引っ張られるかのように、「TEAM NACS」のほかのメンバーもおのおのの道で活躍するようになっていきます。
↓↓TEAM NACS、番組Pの「日本で一番面白い」に安田顕「過大評価」『HTB開局50周年記念 ハナタレナックスEX(特別編)
おわりに
北海道を代表とする有名タレントの一人となった大泉洋さん。
深夜番組時代から見ていた大泉洋さんが、ここまで活躍することに嬉しくもありますが、遠い存在になってしまったことに何となく寂しい気持ちもあります。
しかし、大泉洋さんは今でも北海道のことを大切に思い、北海道のローカル番組にも出演し続けているという姿勢が、大泉洋さんの人気を不動のものにしているのでしょうね。
そしてトップタレントに成長した今でも、そのような態度を見せることなく振舞っています。
それこそが、大泉洋さんの持って生まれた人間性なのでしょう。
大泉洋さんの今後の活躍も期待しておりますが、将来的には北海道に戻ってきてもらいたいと思います。
最後まで読んでいただき、誠にありがとうございます!
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